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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)8324号 判決 1990年7月13日

原告 富士治憲

同 富士典子

右両名訴訟代理人弁護士 鹿野琢見

同 寺村恒郎

同 赤尾直人

同 成海和正

被告 学校法人東京女子醫科大学

右代表者理事 吉岡博人

被告 麻生誠二郎

同 芦田輝久

右三名訴訟代理人弁護士 小川修

同 松井るり子

同 松井宣

右訴訟復代理人弁護士 小川まゆみ

主文

一  被告らは、原告富士治憲に対し、各自金一三八三万三六五〇円及びこれに対する昭和五五年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告富士典子に対し、各自金一三八三万三六五〇円及びこれに対する昭和五五年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを一〇分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告富士治憲に対し、各自金二〇一三万六二四五円及びこれに対する昭和五五年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、原告富士典子に対し、各自金二〇一三万六二四五円及びこれに対する昭和五五年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の地位

(一) 原告富士治憲は、亡富士政則(昭和五二年二月一二日生まれ、以下「政則」という。)の父であった者であり、原告富士典子は、政則の母であった者である。

(二) 被告学校法人東京女子醫科大学(以下「被告法人」という。)は、肩書住所地において総合病院(東京女子醫科大学病院。以下「被告病院」という。)を経営するものであり、被告麻生誠二郎(以下「被告麻生」という。)は、昭和五四年、五五年当時、被告病院小児科に勤務していた医師であり、被告芦田輝久(以下「被告芦田」という。)は、その当時、被告病院外科に勤務していた医師である。

2  医療事故の発生

(一) (入院に至るまでの経緯)

(1)  政則は、昭和五二年二月一二日、原告らの長男として生まれた。

(2)  政則は、昭和五四年八月一九日、発熱等の症状により、住所地近くの助川医院において、助川卓夫医師の診察を受け、その後も、嘔吐、下痢、腹痛等の症状があったため、同医院に同月二九日まで数回通院して治療を受けた。

(3)  その間、発熱については、同月二二日から二六日にかけては摂氏三八度以上であったが、二七日以降微熱の状態になり、嘔吐については、同月二二日に四、五回あったが、その後治まり、下痢及び腹痛については、同月二一日から二九日まで継続し、そのうち二四日の腹痛は飲食直後のものであり、その余は排便時のものであった。

(二) (第一、二回入院)

(1)  政則は、同月二九日、被告病院小児科を受診し、急性咽頭炎、急性胃腸炎と診断され、軽度の脱水症状があり、被告病院小児科に入院した。

(2)  政則の同日の検査結果は、白血球数一万九六〇〇、CRP(C反応性蛋白試験)反応値プラス四であったが、同月三一日には、CRP反応値プラス三に減少したので、被告麻生は、同日、政則を退院させた。

(3)  政則は、同年九月二日、再び発熱、嘔吐、腹痛(特に、大便排出時)の症状があったので、翌三日被告病院小児科で診察を受け、同病院の笠井教授の腹部触診では、腹部には異常はないものの、摂氏三八・七度の発熱と咽頭発赤があったので、急性咽頭炎と診断され、再び被告病院小児科に入院した。

(4)  政則の同月四日の検査の結果は、白血球数一万九六〇〇、CRP反応値プラス五であり、発熱は治まったものの、下痢、大便排出時の腹痛は継続し、翌五日から七日にかけての脈拍は一一〇ないし一二八であって、同日の検査では、白血球数一万一二〇〇、CRP反応値プラス二であった。また、同月三日時点及びそれ以降の段階での大便中の細菌検査では常在菌が存在するのみであった。

被告麻生は、政則を、急性胃腸炎と診断した。

(5)  政則は、同月八日には発熱及び下痢の症状が減退し、多少食欲も増え、白血球数及びCRP反応値も減少したため、被告病院小児科では、同日政則を退院させた。

(三) (第三回入院)

(1)  ところが、政則は、右退院直後の同月一〇日、午後八時三〇分から一一時三〇分ころまでの間に、食べた物を嘔吐し、更に約六回嘔吐を催し、かつ摂氏三八度の発熱があったので、被告病院小児科の救急外来を受診し、担当の医師の診察の結果、腸閉塞が疑われたので、被告病院小児科に入院した。

(2)  政則は、同月一一日午前五時三〇分にも嘔吐し、同日の被告麻生による診察では、右下腹部に圧痛、筋性防御及びブルームベルグ症候が認められ、白血球数一万五八〇〇の検査結果が得られた。

(3)  そこで、被告麻生は、被告病院外科に診察を依頼し、同科の医師である被告芦田が政則を診察したが、被告芦田は、被告麻生に対し、虫垂炎が強く疑われるものの症状が落ち着いているので経過観察するのが妥当と思われる旨の返答をするにとどまり、政則の虫垂の切除は見送られた。

(4)  政則には、同月一六日及び二一日には腹痛、一四日及び二一日には嘔吐の各症状があり、一七日の白血球数は一万二〇〇〇であって、脈拍数も高い値を示し続けたにもかかわらず、被告病院小児科では、同月二二日、政則を退院させた。

(5)  政則は、翌二三日にも、再び発汗、発熱、腹部膨満等の症状があり、これが回復しないため、被告病院は、同月二八日、政則に対し、解熱・鎮痛剤及び抗生物質を投与した。

(四) (臍周囲炎)

(1)  政則は、同年一〇月五日、臍部周囲の発赤、腫脹疼痛の症状があったので、翌六日、被告病院小児科の救急外来を受診し、患部の消毒及び抗生物質の投与を受けた。

(2)  政則は、同月八日、嘔吐及び腹部圧痛の症状があったため、翌九日、被告病院小児科の被告麻生の診察を受けたが、同人は、前回の入院時の経過を考慮し、臍周囲の炎症の原因として臍腸瘻を疑い、被告病院外科の診察を依頼した。

(3)  被告芦田は、腹部エックス線検査の結果小腸のガスがわずかであったことから、政則の臍周囲の炎症が外因性のものと判断し、開腹手術等を行わなかった。

(4)  同月一一日には政則の当該炎症は自潰し、同時に出血もあったにもかかわらず、同月一六日以降臍周囲の発赤及び腫脹自体が消失したことから、被告麻生及び芦田は、右炎症の原因の究明をすることなく、政則の当該炎症は治癒したものと判断し、それ以上の超音波エコーダイヤグラム装置等による検査やその結果に基づく治療を行わなかった。

(五) (第四、五回入院)

(1)  政則は、同年一一月二四日ころから発熱があり、同月二六日には、摂氏四〇度に達し、嘔吐も立て続けに一〇回催し、悪寒戦慄の症状があったことから、翌二七日、被告病院小児科の診察を受けた。

(2)  同日の政則の検査結果では、白血球数一万〇六〇〇、CRP反応値プラス六、血沈の測定値は、三〇分で二一、一時間で六一、二時間で八五であったが、被告病院小児科では、政則を急性咽頭扁桃炎と診断し、抗生物質や解熱剤を投与した。

(3)  政則は、翌二八日にも嘔吐、点状出血及び黄疸症状があり、かつ体温も上下し、腹部膨満の状態も継続した。

(4)  政則は、翌二九日、被告病院小児科の笠井教授の診察の結果、急性気管支炎の疑いで同病院小児科に入院したが、同日の検査結果は、白血球数一万一五〇〇、CRP反応値プラス六であり、翌三〇日に至っても、摂氏四〇度の発熱、腹部膨満、圧痛の症状、及び血沈の高度昂進があったため、被告病院小児科の矢島医師は、被告病院外科の診察を依頼したところ、同科では、政則を、汎発性腹膜炎と診断し、同日午後五時一五分から午後七時三八分にかけて、政則の開腹手術を行った。

(5)  右手術の結果、腹腔内には、大網膜に包まれた直経五センチメートルの膿瘍が形成され、腹腔内は膿汁模様の腹水が大量に貯留し、胃、肝臓、小腸、大腸の全体に白苔が付着しており、また、虫垂の内腔の膿瘍が形成され、糞塊が存在し、壁に肥厚がみられ、その先端部は後腹膜に強固に癒着し、S状結腸まで達していたことが判明した。また、組織検査の結果、膿瘍は皮下脂肪にまで及び、膿瘍と腹膜を結合させる紐状の索状物が繊維性血管性組織を形成していた。

(6)  政則は、前記開腹手術において、腹腔内の洗浄、点滴、膿瘍の摘出等の処置及び術後管理を受けた後、同年一二月二二日、被告病院小児科を退院した。

(7)  政則は、昭和五五年一月一三日、激しい嘔吐の症状があったため、被告病院において診察を受けたところ、腸閉塞と診断され、点滴等の治療を受けて、同月二五日、被告病院を退院した。

(六)(第六回入院)

(1)  政則は、昭和五五年五月二九日から、発熱と解熱を繰り返し、近隣の医院において風邪や流行性耳下腺炎等と診断され、投薬を受けたが、同年六月九日午前二時ころ、被告病院の救急外来を受診し、いったんは帰宅したが、午後四時ころ再び被告病院外科を受診し、肝臓の肥大が認められたのにもかかわらず、同病院外科では、原告らに翌日の検査の受診を指示して、政則を帰宅させた。

(2)  政則は、同月九日の夜には既に生気を失い、四肢は冷たくなっていたが、翌一〇日、被告病院外科において同科の織畑教授の診察を受け、その際、肝臓の肥大に加えて、既に呼吸促拍、呻吟、口唇のチアノーゼがあり、全身倦怠感が著しかったことから、被告病院小児科での診察を指示され、同科の笠井教授の診察を受け、肝肥大及び流行性耳下腺炎と診断され、同日昼ころ入院した。

(3)  政則は、同月一一日、午前三時ないし四時ころ、腹痛、呼吸促拍、及び持続的痙攣の症状があり、午前八時には呼吸困難による肩呼吸、顔面蒼白、唇の変色もあったところ、午前八時五〇分からの心電図検査で政則の心臓の動きに異常が見付かり、血圧は低下してショック症状となり、午前九時ころ検査のための採血後に意識不明となり、呼吸も一時停止する状態となったため、酸素吸入及び心臓マッサージ等の処置が採られたが、政則は、同日午前一〇時四二分死亡した。

(4)  政則の遺体の解剖の結果、心嚢には心嚢液が二五〇ミリリットル存在し、大腸菌が血液中にも大量に含まれ、心臓の周囲や心嚢の内側に膿苔が付着していたこと、白血球数は四万二三〇〇、CRP反応値はプラス六であって、政則が死亡前心機能に著しい障害が生じていたことが判明した。

(七)(政則の死因)

以上の経緯及び解剖の結果等から判断すると、政則の死亡の原因は、第一回入院の当時に既に存在した穿孔性虫垂炎を原病巣として、腹腔内及び臍周囲に膿瘍が形成され、これにより、遅くとも第三回入院時において前記大網膜に包まれた膿瘍による限局性腹膜炎を生じ、これが右大網膜に包まれた膿瘍の破綻による汎発性腹膜炎に進展し、これに対する第四回入院時の開腹手術と膿瘍の摘出とが行われたにもかかわらず、その手術後の遺残膿瘍によって左横隔膜下膿瘍及び敗血症を生じ、更にこれにより化膿性心嚢炎に至ったことによるものである。

3  責任原因

(一)(虫垂炎の診断・治療~第一、二回入院時)

被告麻生は、第一、二回入院時において、政則を診察するに際し、それ以前の症状の推移及び助川医師の診察等を考慮し、かつ、政則の発熱、嘔吐、下痢、腹痛等の症状の推移や検査結果を考慮して虫垂炎を疑うべきであり、虫垂炎の可能性を念頭に置いて多角的な診察、殊に腹部の触診を綿密に行うことによって虫垂炎を早期に発見し、かつ、幼児虫垂炎の特殊性すなわち症状の速やかな進行及び穿孔による汎発性腹膜炎へ進展しやすいことを考慮し、速やかに虫垂切除術を行うべき注意義務を有していたにもかかわらず、これを怠り、むしろ急性胃腸炎を疑い、これを前提とした診断と治療に終始して、虫垂炎の早期発見及び虫垂切除の機会を逸した結果、その後の諸疾患の発生を防止できなかった。

(二)(虫垂炎の診断・治療~第三回入院時)

第三回入院時において、被告麻生は、政則の虫垂炎の可能性を認めたのであるから、その場合、その確定診断のためにそれまでの経過の詳細を被告病院外科の医師に報告し、診断する注意義務を有しており、一方、被告芦田は、政則に腹痛、筋性防御、嘔吐等の症状が断続的に続いていたことや、白血球数は九月一一日の時点で一万五〇〇〇を超え、ブルームベルグ反応も認められたのであるから、このような場合、虫垂炎との確定診断を下し、これに基づき速やかに虫垂切除術を行うべき注意義務を有していたにもかかわらず、右両被告は、いずれもこれらを怠り、抗生物質による保存療法に終始し、虫垂切除術を行わなかった結果、その後の膿瘍の形成等を防止できなかった。

(三)(大網膜に包まれた膿瘍の診断・治療~臍周囲炎現出時)

被告麻生及び同芦田は、臍周囲炎現出時において、それまでの経緯、すなわち虫垂炎の疑いがあったこと及び虫垂切除が見送られたことを念頭に置いて、これが内因性の臍周囲炎であり、かつ、政則が腹膜炎を起こしていることを疑い、検査等によりその原因である膿瘍とその原発巣を究明し、かつ開腹手術により腹腔内の膿瘍を摘出する等の処置を施すべき注意義務を有していたにもかかわらず、臍腸瘻を疑うのみで、ゾンデ、造影剤又は当時被告病院に設置済みの超音波エコーダイヤグラム装置等による政則の腹腔内の検査を十分に実施しなかったため、大網膜に包まれた膿瘍を発見できず、結局当該臍周囲炎が外因性のものであると誤診し、汎発性腹膜炎に至る前に虫垂及び右膿瘍を切除、摘出する機会を失い、重篤な結果が生ずるに至った。

(四)(大網膜に包まれた膿瘍の診断・治療~第四回入院時)

政則が第四回入院に至る昭和五四年一一月二七日ないし二九日の時点において、被告病院の担当の医師としては、政則のこれまでの入退院と臍周囲炎の発症の経緯及び当時の症状等を詳細に分析し、その上で患者に腹膜炎の症状が疑われた場合には、その診断の確定のため十分に検査するとともに特に腹部を入念に診察し、その結果に従って開腹手術その他適切な処置を採るべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、大網膜に包まれた膿瘍が破綻する前の段階でその摘出手術を行うことができなかった結果、汎発性腹膜炎にまで至り、これが政則の死亡の原因となった。

(五)(化膿性心嚢炎、左横隔膜下膿瘍の診断・治療~第六回入院時)

被告病院の担当の医師としては、政則が第六回入院に至る昭和五五年六月一〇日の時点において、肝臓の肥大が認められたのであるから、このような場合、第四回入院時における開腹手術に至る経緯及びその後の遺残膿瘍の存在の可能性を考慮し、速やかに諸検査を行い、症状等を併せ検討して、政則が化膿性心嚢炎に罹患していること及びその原因を探知し、これに基づき救急の処置を講じ、かつ、全身状態の回復を待ってその原因である左横隔膜下膿瘍の切除手術を行うべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、当時の症状のみにとらわれ流行性耳下腺炎等の疾患のみを疑って、前記遺残膿瘍の形成を念頭に置いた措置を講じず、政則を事実上放置した結果、ついに政則を死亡させるに至った。

4  損害

(一)(1)  逸失利益 一三〇六万七二四九円

政則は、本件医療事故以前は健康な男子であったから、本件医療事故により死亡しなければ満一八歳から満六七歳までの四九年間就労し、その期間中昭和五五年の男子全年齢平均の年間所得二九九万〇四〇〇円を取得するはずであったから、生活費として五〇パーセントを控除し、中間利息の控除についてライプニッツ式計算法を用いて計算すると、政則の逸失利益は、一三〇六万七二四九円となる。ただし、ライプニッツ係数は、六四年に対応する一九・一一九一二三八四から一五年に対応する一〇・三七九六五八〇四を差し引いた八・七三九四六五八による。

(2)  政則の慰謝料 四〇〇万円

政則は、本件医療事故により、肉体的苦痛に耐えることを余儀なくされ、かつ幼い生命を奪われたのであるから、これを慰謝するには四〇〇万円が相当である。

(3)  原告らは、政則の父母であり、他に相続人はいない。したがって、原告らは政則の死亡により、(1) 及び(2) の合計額の二分の一である八五三万三六二五円をそれぞれ承継取得した。

(二)(1)  原告ら固有の慰謝料 各一〇〇〇万円

原告らは、政則の成長を楽しみにしていたところ、政則の死亡により暖かく明るい家庭を築き上げていく喜びを失った精神的苦痛は甚大であり、これを慰謝するには各一〇〇〇万円が相当である。

(2)  葬儀費用 各三〇万円

原告らは、政則の死亡により、葬儀費用として、各自三〇万円を出費した。

(3)  弁護士費用 各一〇〇万円

原告らは、弁護士に本件訴訟の追行を委任し、着手金として各一〇〇万円の出費を余儀なくされた。

5  よって、原告らは、それぞれ、被告ら各自に対し、被告法人については、診療契約の債務不履行又は不法行為(使用者責任)による損害賠償請求権に基づき、被告麻生及び同芦田については、不法行為による損害賠償請求権に基づき、右合計金二〇一三万六二四五円及びこれに対する不法行為の日の後であって本訴状の最後の送達の日の翌日である昭和五五年一〇月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否(被告ら)

1  請求原因1(当事者の地位)の事実は全部認める。

2  請求原因2について

(一)(入院に至るまでの経緯)

(1)  (一)(1) の事実は認める。

(2)  (一)(2) の事実は認める。

(3)  (一)(3) のうち、八月二四日の飲食後の腹痛及び同月二三日以降の排便時の腹痛の事実は認め、その余の事実は知らない。

(二)(第一、二回入院)

(1)  (二)(1) の事実は認める。

(2)  (二)(2) の事実は認める。

ただし、政則の退院は、その家族の希望に基づくものである。

(3)  (二)(3) の事実のうち、政則に再び発熱、腹痛の症状があり、九月三日被告病院小児科で診察を受け、同病院の笠井教授の腹部触診で腹部には異常はないものの咽頭発赤があって、急性咽頭炎と診断され、再び被告病院小児科に入院した事実は認め、その余は否認する。

(4)  (二)(4) の事実は認める。ただし、大便排出時の腹痛は退院時には消失している。

(5)  (二)(5) のうち、政則が九月八日には発熱及び下痢の症状が減退し多少食欲も増え白血球数及びCRP反応値も減少したこと、及び同日政則が被告病院小児科を退院したことは認める。しかし、被告病院小児科において政則を退院させたのは、検査値が減少したほか、発熱及び下痢の症状が早期に消失し、腹痛も徐々に軽快した等の経過をみて行ったことである。

(三)(第三回入院)

(1)  (三)(1) の事実のうち、政則が、九月一〇日の午後八時三〇分から一一時三〇分ころまでの間に、食べた物を嘔吐し、更に約六回嘔吐を催し、被告病院小児科の救急外来を受診し、担当の医師の診察の結果、腸閉塞が疑われたので、被告病院小児科に入院したことは認め、その余は否認する。

(2)  (三)(2) の事実のうち、政則が、九月一一日午前五時三〇分にも嘔吐し、同日の被告麻生による診察では、右下腹部に圧痛、筋性防御が認められ、白血球数一万五八〇〇の検査結果が得られたことは認め、その余は否認する。

(3)  (三)(3) の事実のうち、被告麻生が、被告病院外科に診察を依頼し、同科の医師である被告芦田が政則を診察したことは認め、その余は否認する。

(4)  (三)(4) の事実のうち、九月二一日の腹痛及び二一日の嘔吐の症状があったこと、一七日の白血球数は一万二〇〇〇であったこと、並びに九月二二日政則が退院したことは認め、その余は否認する。

(5)  (三)(5) の事実は否認する。

(四)(臍周囲炎)

(1)  (四)(1) の事実は認める。

(2)  (四)(2) の事実は認める。

(3)  (四)(3) の事実は否認する。

(4)  (四)(4) の事実は否認する。

超音波検査は、被告病院小児科において、昭和五四年当時、日常的に行われる検査ではなかった。

(五)(第四、五回入院)

(1)  (五)(1) の事実のうち、政則が昭和五四年一一月二七日に被告病院小児科の診察を受けたことは認め、その余は知らない。

(2)  (五)(2) の事実は認める。

当該診断は政則の従前の症状の経緯を考慮した結果である。

(3)  (五)(3) の事実は否認する。

(4)  (五)(4) の事実は認める。

(5)  (五)(5) の事実のうち、開腹手術の結果、腹腔内には、大網膜に包まれた直径五センチメートルの膿瘍が形成され、腹腔内は膿汁模様の腹水が大量に貯留し、胃、肝臓、小腸、大腸の全体に白苔が付着していたことが判明したことは認め、その余は否認する。

政則の虫垂は、ほぼ正常な状態であった。

(6)  (五)(6) の事実は認める。

(7)  (五)(7) の事実は認める。

(六)(第六回入院)

(1)  (六)(1) の事実は認める。

(2)  (六)(2) の事実のうち、政則は、六月九日の夜には既に生気を失い、四肢は冷たくなっていたことは知らない。一〇日、被告病院外科において同科の織畑教授が政則を診察し、被告病院小児科での診察を指示したこと、同科の笠井教授が診察をしたこと、及び政則が同日昼ころ入院したことは認め、その余は否認する。

この時点の政則の心音及び呼吸音には異常はなかった。

(3)  (六)(3) の事実のうち、政則が、六月一一日午前三時ないし四時ころ、腹痛及び呼吸促拍の症状があり、午前八時には呼吸困難による肩呼吸、顔面蒼白、唇の変色もあったこと、午前八時五〇分からの心電図検査で政則の心臓の動きに異常が見付かり、ショック症状となり、午前九時ころ検査のための採血後に意識不明となり、呼吸も一時停止する状態となったため、酸素吸入及び心臓マッサージ等の処置が採られたが、政則は、同日午前一〇時四二分死亡したことは認め、その余は否認する。

(4)  (六)(4) の事実は認める。

(七)(死因について)

(七)の事実のうち、政則の死亡が、大網膜に包まれた膿瘍による限局性腹膜炎から右膿瘍の破綻による汎発性腹膜炎に進展し、第四回入院時の開腹手術後にもなお遺残した膿瘍によって左横隔膜下膿瘍を生じ、更にこれにより化膿性心嚢炎に至ったことによるものであることは認め、その余の事実は否認する。

腹膜炎の発症の原因については、臨床的には、虫垂炎によるとも、臍周囲炎によるとも、また、他の原因によるとも、いずれとも確定することができない。

3  請求原因3について

請求原因3の各事実及び主張については、いずれも争う。各項に関する被告らの主張は、次のとおりである。

(一)(虫垂炎の診断・治療~第一、二回入院時)

被告麻生は、政則の第一回及び第二回の入院時において、腹部触診を含め十分診察及び検査をした結果、当時の症状等から急性咽頭炎及び急性胃腸炎と診断したものである。むしろ虫垂炎の症状はなかったのであって、虫垂炎の可能性を念頭に置かなかった事実はない。客観的にも、政則の虫垂炎は早い段階で後腹膜に癒着していた。

(二)(虫垂炎の診断・治療~第三回入院時)

被告麻生は、それまでの経過を被告病院外科の医師に詳細に報告している。また、被告芦田は、政則の診察の結果虫垂炎を疑ったが、経過を観察することにより、虫垂炎の症状は消失し、バリウム注腸造影検査でも虫垂が撮影されたため、最終的には虫垂炎の所見は否定された。

また、幼児に対する虫垂炎切除手術は、むしろその手術適応を厳格に考えるべきであるし、一般に、虫垂炎であると疑われても、直ちに開腹手術をすべきとは限らず、対症療法で治癒してしまうことも多い。本件においても、これらのことを考慮して、即時の手術適応はないと判断し、経過観察の処置を採ったのであり、かつ、結果的に虫垂炎の所見は否定され、したがって手術適応もなくなったものである。

(三)(大網膜に包まれた膿瘍の診断・治療~臍周囲炎現出時)

政則の本件臍周囲炎は、その症状とその推移から、あくまで外因性のものであり、大網膜に包まれた膿瘍や虫垂炎とは何ら関係がない。そして、一〇月一六日にはその症状も消失し、臍周囲炎は治癒するに至ったのであり、一方、腹膜炎の診断は、昭和五四年一一月三〇日時点の症状によってはじめて可能になったものであるから、原告らの主張するような注意義務は存在しない。

また、超音波エコーダイヤグラム装置による検査は被告病院小児科において昭和五四年当時ようやく緒についたばかりで、当時、日常的に行われるものではなかった。

(四)(大網膜に包まれた膿瘍の診断・治療~第四回入院時)

政則の汎発性腹膜炎の発症は、昭和五四年一一月二九日以降であり、同月二七ないし二九日の同人の症状及び検査値では、これを腹膜炎と診断することは不可能であり、同月三〇日に至って初めてその診断が可能となって直ちに汎発性腹膜炎の手術を行ったのであるから、原告らが主張するような注意義務違反はない。当該手術は成功し、その時点で政則の汎発性腹膜炎も治癒した。

(五)(化膿性心嚢炎、左横隔膜下膿瘍の診断・治療~第六回入院時)

化膿性心嚢炎は、それ自体稀な症例であり、かつ、特有の症状に乏しく診断が難しい。また、経過が早く、余後が極めて悪く、死亡率も高い。被告病院の担当の医師は、政則の状態の変化に応じ、可能な限りの処置を施したのであって、本件において政則死亡前に化膿性心嚢炎及びその原因である左横隔膜下膿瘍の探知及び確定診断は不可能であった。

4  請求原因4について

請求原因4の事実は、原告らと政則の身分関係を除いて、すべて否認する。

第三証拠<略>

理由

一  当時者の地位

請求原因1の事実は、すべて当事者間に争いがない。

二  医療事故の発生

1  当事者間に争いのない事実

請求原因2のうち、(一)(入院に至るまでの経緯)の(1) 及び(2) の事実、(一)の(3) のうち、八月二四日の飲食後の腹痛及び同月二三日以降の排便時の腹痛の事実、(二)(第一、二回入院)の(1) 及び(2) の事実、(二)の(3) の事実のうち、政則に再び発熱、腹痛の症状があり、九月三日被告病院小児科で診察を受け、同病院の笠井教授の腹部触診で腹部には異常はないものの咽頭発赤があって、急性咽頭炎と診断され、再び被告病院小児科に入院した事実、(二)の(4) の事実、(二)の(5) のうち、政則が九月八日には発熱及び下痢の症状が減退し多少食欲も増え白血球数及びCRP反応値も減少したこと、及び同日政則が被告病院小児科を退院したこと、(三)(第三回入院)の(1) の事実のうち、政則が、九月一〇日の午後八時三〇分から一一時三〇分ころまでの間に、食べた物を嘔吐し、更に約六回嘔吐を催し、被告病院小児科の救急外来を受診し、担当の医師の診察の結果、腸閉塞が疑われたので、被告病院小児科に入院したこと、(三)の(2) の事実のうち、政則が、九月一一日午前五時三〇分にも嘔吐し、同日の被告麻生による診察では、右下腹部に圧痛、筋性防御が認められ、白血球数一万五八〇〇の検査結果が得られたこと、(三)の(3) の事実のうち、被告麻生が、被告病院外科に診察を依頼し、同科の医師である被告芦田が政則を診察したこと、(三)の(4) の事実のうち、九月二一日の腹痛及び二一日の嘔吐の症状があったこと、一七日の白血球数は一万二〇〇〇であったこと、並びに九月二二日政則が退院したこと、(四)(臍周囲炎)の(1) 及び(2) の事実、(五)(第四、五回入院)の(1) の事実のうち、政則が一一月二七日に被告病院小児科の診察を受けたこと、(五)の(2) の事実、(五)の(4) の事実、(五)の(5) の事実のうち、開腹手術の結果、腹腔内には、大網膜に包まれた直径五センチメートルの膿瘍が形成され、腹腔内は膿汁模様の腹水が大量に貯留し、胃、肝臓、小腸、大腸の全体に白苔が付着していたことが判明したこと、(五)の(6) 及び(7) の事実、(六)(第六回入院)の(1) の事実、(六)の(2) の事実のうち、昭和五五年六月一〇日、被告病院外科において同科の織畑教授が政則を診察し、被告病院小児科での診察を指示したこと、同科の笠井教授が診察をしたこと、及び政則が同日昼ころ入院したこと、(六)の(3) の事実のうち、政則が、六月一一日午前三時ないし四時ころ、腹痛及び呼吸促拍の症状があり、午前八時には呼吸困難による肩呼吸、顔面蒼白、唇の変色もあったこと、午前八時五〇分からの心電図検査で政則の心臓の動きに異常が見付かり、ショック症状となり、午前九時ころ検査のための採血後に意識不明となり、呼吸も一時停止する状態となったため、酸素吸入及び心臓マッサージ等の処置が採られたが、政則は、同日午前一〇時四二分死亡したこと、(六)の(4) の事実、並びに(七)(死因について)のうち、政則の死亡が、大網膜に包まれた膿瘍による限局性腹膜炎から右膿瘍の破綻による汎発性腹膜炎に進展し、第四回入院時の開腹手術後にもなお遺残した膿瘍によって左横隔膜下膿瘍を生じ、更にこれにより化膿性心嚢炎に至ったことによるものであることは、いずれも当事者間に争いがない。

2  事実経過

右1の争いのない事実と、<証拠略>並びに弁論の全趣旨とを総合すれば、次の各事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)(入院に至るまでの経緯)

(1)  政則は、昭和五二年二月一二日、原告らの長男として生まれ、生後二年六か月の間は、これといった病気もせず、健康に成育していたところ、昭和五四年八月一九日、摂氏三九度の発熱と下痢の症状があったため、住所地近くの医院において、助川卓夫医師の診察を受け、右医院に同月二九日まで数回通院し抗生物質の投与等の治療を受けた。

(2)  しかし、その後も、二二日には嘔吐、二五日には腹痛の症状があり、発熱や下痢の症状も継続したため、右助川医師は、原告富士典子に対し、被告病院小児科の受診を指示した。

(二)(第一、二回入院)

(1)  政則は、同月二九日、被告病院小児科を受診し、同科の山田多佳子医師の診察の結果、急性咽頭炎、急性胃腸炎と診断され、軽度の脱水症状があったため、被告病院小児科に入院し、点滴等の治療を受けた。同日時点の大便中の細菌検査では常在菌が存在するのみであった。

(2)  政則の同日の検査結果は、白血球数一万九六〇〇、CRP反応値プラス四であったが、同月三一日には、CRP反応値プラス三に減少し、入院後発熱もなく、その間のその他の症状も回復傾向にあったため、受持医の被告麻生は、外来での再検査等を指示して、同日政則を退院させた。

(3)  政則は、同年九月二日、再び摂氏三七・九度の発熱、嘔吐、下痢及び腹痛(特に、大便排出時のそれ)の症状があったので、翌三日被告病院小児科で診察を受けたが、同病院の笠井教授の腹部触診では、腹部には異常はないものの、発熱と咽頭発赤があったので、急性腸炎及び急性咽頭炎と診断され、再び被告病院小児科に入院した。

(4)  政則の同月四日の検査の結果は、白血球数一万九六〇〇、CRP反応値プラス五であり、翌五日から七日にかけての脈拍は一一〇ないし一二八であって、同日の検査では、白血球数一万一二〇〇、CRP反応値プラス二であった。また、同月三日時点及びそれ以降の段階での大便中の細菌検査では常在菌が存在するのみであった。

以上の点から、被告麻生は、政則を、急性胃腸炎及び急性咽頭炎と診断した。

(5)  政則は、同月四日には発熱は治まり、下痢、大便排出時の腹痛及び下痢の症状は次第に減退し、多少食欲も増え、白血球数及びCRP反応値も減少したため、被告病院小児科では、同月八日政則を退院させた。

(三)(第三回入院)

(1)  ところが、政則は、右退院直後の同月一〇日、午後八時三〇分から一一時三〇分ころまでの間に、食べた物を嘔吐し、更に六、七回嘔吐を催したため、被告病院小児科の救急外来を受診し、担当の医師の診察及びエックス線撮影の結果、機能性腸閉塞が疑われたので、同月一一日午前〇時三〇分、被告病院小児科に入院した。

(2)  政則は、同月一一日午前五時三〇分にも嘔吐し、また、同日の被告麻生による診察では、右下腹部に軽度の圧痛及び筋性防御が認められ、白血球数一万五八〇〇の検査結果が得られたため、被告麻生は、軽度の虫垂炎を疑い、被告病院外科に診察を依頼し、同科の医師である被告芦田及び織畑秀夫教授が政則を診察したが、被告麻生に対し、虫垂炎が強く疑われるものの症状が落ち着いているので抗生物質を投与して経過観察し、その後腹部エックス線撮影でニボー(水面像)が増価したり症状が強くなれば開腹する必要がある旨の返答をして、政則の虫垂の切除は見送られた。

(3)  その後、政則は、一二日の白血球数は八二〇〇、一七日のそれは一万二〇〇〇であったが、同日のCRP反応値はマイナスで、時に腹痛を訴えるも継続的ではなく、二一日に嘔吐の症状があったものの、下痢もなく、脈拍数も落ち着いており、また、二一日の注腸造影検査の結果、虫垂が造影されたことから、被告病院小児科では、この時点での虫垂炎及びこれによる手術適応はないと判断し、その後外来で経過観察を続けることとして、同月二二日、政則を退院させた。

(4)  政則は、翌二三日に発汗等の症状があったものの、その他特段の症状はなかったが、同月二七日に摂氏三七・八度、二八日には摂氏三八・八度の発熱があったため、被告麻生は、同二八日、政則に対し、解熱・鎮痛剤及び抗生物質を投与した。

(四)(臍周囲炎)

(1)  政則は、同年一〇月五日、臍部周囲の発赤、腫脹及び疼痛の症状があったので、翌六日、被告病院小児科の救急外来を受診し、患部の消毒及び抗生物質の投与を受けた。

(2)  政則は、同月八日、嘔吐及び腹部圧痛の症状があったため、翌九日、被告病院小児科の被告麻生の診察を受けたが、同人は、前回の入院時の経過を考慮し、臍周囲の炎症の原因として臍腸瘻を疑い、被告病院外科の診察を依頼したところ、依頼を受けた被告芦田は、診察の結果、原因として臍腸瘻等が考えられるものの、未だ切開する時期ではないと判断し、抗生物質の投与等で経過観察し臍炎が軽快しなければ入院させて精査する旨返答した。

(3)  同月一一日、政則の当該炎症は自潰し、ゾンデを一・五センチメートル程挿入することができ、翌一二日には浸出液が出たが腹痛等の症状はなく、同月一六日以降臍周囲の発赤及び腫脹自体が消失し、患部もかさぶたを形成したことから、被告麻生及び芦田は、政則の当該炎症はほぼ治癒したものと判断し、それ以上の検査や治療は行わず、結局、開腹手術等を行わなかった。

(五)(第四、五回入院)

(1)  政則は、その後特段の症状もなく、普通の生活をしていたが、同年一一月二六日、摂氏四〇度程の発熱があり、嘔吐や悪寒の症状があったことから、翌二七日、被告病院小児科笠井教授の診察を受けたところ、その際の政則の検査結果では、白血球数一万〇六〇〇、CRP反応値プラス六、血沈の測定値は、三〇分で二一、一時間で六一、二時間で八五であり、エックス線検査等の結果、被告病院小児科では、政則を急性咽頭扁桃炎と診断し、抗生物質や解熱剤を投与した。

(2)  しかし、翌二八日も政則の症状は変らず、食欲はなく、点状出血があり、かつ発熱も翌二九日まで継続したので、政則は、同日、再び被告病院小児科で診察を受けた結果、急性気管支炎の疑いで同病院小児科に入院した。

(3)  同日の政則の検査結果は、白血球数一万一五〇〇、CRP反応値プラス六であり、翌三〇日に至っても、摂氏四〇度の発熱、腹部膨満、圧痛の症状、及び血沈の高度昂進があったため、被告病院小児科の矢島医師は、気管支炎の症状が軽度であることや従前の症状の経過等も考慮し、腹膜炎を疑って被告病院外科の診察を依頼したところ、同科では、政則を汎発性腹膜炎と診断し、緊急手術が必要と判断して、同日午後五時一五分から午後七時三八分にかけて、政則の開腹手術を行った。

(4)  開腹手術の結果、腹腔内臍左上部には、大網膜に包まれた直径五センチメートルの膿瘍が形成され、腹腔内は膿汁模様の腹水が大量に貯留し、胃、肝臓、小腸、大腸の全体に白苔が付着しており、また、虫垂の壁に肥厚がみられ、その先端部は後腹膜に強固に癒着しS状結腸まで接していた。さらに、組織検査の結果、膿瘍は皮下脂肪にまで及び、膿瘍と腹膜を結合させる索状物が繊維性血管性組織で、慢性炎症がみられた。

(5)  政則は、前記開腹手術において、腹腔内の洗浄、点滴、膿瘍及び虫垂の摘出等の処置を受け、術後管理を経た後、同年一二月二二日、被告病院小児科を退院した。

(6)  政則は、昭和五五年一月一三日、激しい嘔吐の症状等があったため、被告病院緊急外来を受診したところ、腸閉塞と診断され、被告病院外科に入院し、点滴等の治療を受けて、同月二五日、退院した。

(六)(第六回入院)

(1)  その後、政則は、昭和五五年三月三日急性咽頭炎で被告病院小児科で治療を受けたほかは特段の症状はなく元気で、同年四月からは幼稚園に入り通園していたところ、同年五月二九日、摂氏三八度五分の発熱があり、近隣の医院において風邪として投薬を受け、更に、同年六月六日、流行性耳下腺炎と診断され、投薬を受けた。

(2)  しかし、発熱等の症状が回復しないため、同月九日午前二時ころ、被告病院の救急外来を受診し、いったんは帰宅したが、更に嘔吐等があったので、午後四時ころ再び被告病院外科を受診した。診察の結果、肝臓の肥大が認められたが、同病院外科では、原告らに翌日の検査の受診を指示して、政則を帰宅させた。

(3)  政則は、翌一〇日、被告病院外科において同科の織畑教授の診察を受け、その際、肝臓の肥大に加えて、既に呼吸促拍、口周囲のチアノーゼがあり被告病院小児科での診察を指示されて、同科の笠井教授の診察を受け、肝肥大及び流行性耳下腺炎と診断され、その治療と精査のため同日昼ころ入院した。

(4)  政則は、同月一一日、午前三時ころから、腹痛等の症状があり、顔色も悪くなり、午前八時には発汗も多くなり、多呼吸、呼吸困難による肩呼吸、顔面蒼白、唇の変色もあったところ、午前八時五〇分からの心電図検査で政則の心臓の動きに異常が見付かり、血圧は低下してショック症状となり、午前九時ころ検査のための採血後に意識不明となり、呼吸も一時停止する状態となったため、酸素吸入及び心臓マッサージ等の処置が採られたが、政則は、同日午前一〇時四二分死亡した。

(5)  政則の遺体の解剖の結果、心嚢には心嚢液が二五〇ミリリットル存在し、大腸菌が血液中にも大量に含まれ、心臓の周囲や心嚢の内側に膿苔が付着していたこと、白血球数は四万二三〇〇、CRP反応値はプラス六であって、政則が死亡前心機能に著しい障害が生じていたことが判明した。

3  政則の死因について

(一)  請求原因2の(七)の事実のうち、政則の死亡が、大網膜に包まれた膿瘍による限局性腹膜炎から右膿瘍の破綻による汎発性腹膜炎に進展し、第四回入院時の開腹手術後にもなお遺残した膿瘍によって左横隔膜下膿瘍を生じ、更にこれにより化膿性心嚢炎に至ったことによるものであることは当事者間に争いがない。

(二)  そこで、右の限局性腹膜炎、すなわち大網膜に包まれた膿瘍が発症した原因について検討するに、前記2の(一)ないし(五)に認定した事実に、<証拠略>を合わせると、政則の虫垂には、相当に早い段階すなわち第一回入院前の時点で炎症があり、その虫垂壁が薄く脆弱であり、また免疫能が未熟な幼児の虫垂炎であったため、これがさほど間をおかないで穿通していたこと、右穿通した虫垂炎の炎症が虫垂周囲から離れた位置であったが腹腔内臍左上部に波及し、その細菌が大網膜に付着して、これに包まれた形で成長し、遅くとも第三回入院時ころまでに同部分に膿瘍を形成するに至ったことが推認され、右推認を妨げるべき事情をうかがわせる証拠はない(ちなみに、前記2(三)(3) で認定したとおり注腸造影検査の結果虫垂が造影された事実があるが、<証拠略>によれば、このような造影は、虫垂に炎症が存在することと必ずしも矛盾しないことが認められるから、右造影の事実は、虫垂炎穿通の事実の推認の妨げとはならない。)。

(三)  以上(一)及び(二)の事実と前記1及び2の事実を総合すると、政則の死亡の原因は、第一回入院前から存在した虫垂炎が穿通し、その穿通により腹腔内に波及した細菌が大網膜に付着し、その大網膜に包まれた膿瘍が形成され、これにより、遅くとも第三回入院時ころまでの間に限局性腹膜炎を生じ、これが第四回入院時の前後ころに右大網膜に包まれた膿瘍が破綻して汎発性腹膜炎に進展し、第四回入院時の開腹手術によって膿のほとんどの部分が除去されたものの、なお細菌が腹腔内に残り、これが遺残膿瘍としての左横隔膜下膿瘍を発生させ、これにより化膿性心嚢炎に至ったことによるものであると推認することができる。

三  責任原因

1  第六回入院時の診断・治療行為における注意義務違反について

(一)  政則の第六回入院に至る経緯並びに被告病院所属の医師による診断及び処置は前記二2(六)で認定したとおりであるが、<証拠略>によれば、横隔膜下膿瘍の症状は非定型的で、その早期診断は困難であるとされており、また、これに引き続いての急性化膿性心嚢炎自体、稀な疾患であること、急性化膿性心嚢炎は極めて急速に進展し、しかも、通常の心嚢炎の典型的な所見に欠けるために診断が困難であるとされていることが認められる。

(二)  原告らは、被告病院の担当の医師としては、政則が第六回入院に至る昭和五五年六月一〇日の時点において、肝臓の肥大が認められたのであるから、このような場合、速やかに諸検査を行い、症状等を併せ検討して、政則が化膿性心嚢炎に罹患していること及びその原因を探知し、これに基づき救急の処置を講ずべき注意義務がある旨主張し、肝臓の肥大と化膿性心嚢炎の関連を指摘する<証拠略>を援用するが、前記認定の事実経過と右(一)の事実に照らすと、被告病院の担当の医師が政則の死亡前に左横隔膜下膿瘍及びこれにより生じた急性化膿性心嚢炎を発見できなかったことは、臨床医学の水準からみて必ずしも責められるべきものということはできない。

また、原告らは、第四回入院時における開腹手術に至る経緯及びその後の遺残膿瘍の存在の可能性を考慮して診察及び治療を行うべき義務があったとも主張するが、前記のとおり、汎発性腹膜炎の手術後第六回入院時までには比較的に症状に乏しいまま半年以上の期間が経過しており、第六回入院時は、汎発性腹膜炎から発生する遺残膿瘍の可能性が極めて低くなると一般には認められる時期にあり、かつ、前記認定のような化膿性心嚢炎の特徴にかんがみると、被告病院の担当の医師が第四回入院時における開腹手術に至る経緯及びその後の遺残膿瘍の存在の可能性を考慮して診察にあたったとしても、第六回入院時においては政則の化膿性心嚢炎による死亡を回避する余地は残されていなかったものと認めるのが相当である。

<証拠略>中右認定に反する部分は、以上に掲記した諸点に照らし、採用することができない。

(三)  したがって、第六回入院時において被告病院の担当の医師に前記のような注意義務違反があったという原告らの主張は、理由がない。

2  第四回入院時の診断・治療行為における注意義務違反について

(一)  政則の昭和五四年一一月二六日から同月三〇日の症状及び被告病院の対応は、前記二2(五)で認定したとおりであって、同年一〇月一六日以降特段の症状もなかったところ、同年一一月二六日、摂氏四〇度程の発熱があり、嘔吐や悪寒の症状が現出したこと、翌二七日、同月二九日の各検査結果及びその後の経過から、同月二六日ころには既に腹膜炎の症状があったことを推認することができる。

(二)  原告らは、右時点において、被告病院の担当の医師が、大網膜に包まれた膿瘍が破綻する前の段階で開腹手術をしてその摘出を行うことができなかったことが、汎発性腹膜炎及び政則の死亡の原因となった旨主張するが、被告病院の対応、殊に同月二七日及び二九日の段階における被告病院の小児科と外科との連携等にまったく問題がなかったとはいえないとしても、前記認定のとおり、被告病院小児科の矢島医師は、右症状が発生した後、同月三〇日の段階で腹膜炎を疑い、直ちに被告病院外科に連絡し、緊急の開腹手術が行われ、当該手術は成功したことからすれば、少なくともこの時点に限ってみれば、多少診断及び治療に時間がかかったとしても、臨床医学の水準からみて、特に非難すべきものではないし、また、前記認定のとおり、同月二六日ころ以前にも、大網膜に包まれた膿瘍からその膿瘍の破綻により腹腔内に排出された膿、細菌が存在し、これらも、右開腹手術の際にやむを得ず除去しきれなかった膿、細菌と相俟って政則のその後の左横隔膜下膿瘍、化膿性心嚢炎の発症及びそれに基づく死亡の結果を招来した可能性を否定しきれない以上、第四回入院時の当初に開腹手術をしなかったことをもって政則の死亡の原因ということはできない。

<証拠略>中右認定に反する部分は、以上に掲記した諸点に照らし、採用することができない。

(三)  そうすると、第四回入院時の当初の時点で被告病院の担当の医師の注意義務違反があったという原告らの主張もまた、理由がないというべきである。

3  臍周囲炎現出時以降の診断・治療行為における注意義務違反について

(一)  昭和五四年一〇月の段階で政則に臍周囲炎の症状が現れた経緯及びそれに対する被告らの対応は、前記二2(四)で認定したとおりであり、これらの事実に、<証拠略>を総合すると、政則の本件臍周囲炎は、臍表面の感染から生じた外因性のものではなく、腹腔内の何らかの原因に基づく膿によって生じた内因性の疾患であったことを認めることができ、さらに、その原因が何であるかについては、前記のとおり、政則は、以前虫垂炎に罹患しかつ穿通が生じたことがあるのであるから、腹腔内に他の細菌性の疾患がある等の特段の事情がない限り、右臍周囲炎は虫垂炎が穿通したことにより腹腔内に波及した細菌が臍周囲部に付着したため生じたものであると推認するのが相当であるところ、右特段の事情に相当する事実は、本件全証拠によっても認めることができない。そうすると、政則の本件臍周囲炎は、虫垂炎が穿通したことにより波及した細菌が腹腔内の臍周囲部に付着した結果生じた内因性の疾患といわざるを得ない。

(二)  事実経過及び政則の死因として前記のとおり判示した汎発性腹膜炎の手術の際発見された大網膜に包まれた膿瘍も、同じく穿通した虫垂炎から波及した細菌により生じたものであるところ、この膿瘍は、<証拠略>によれば、比較的長期間かかって形成されたものであって、臍周囲炎の現出した昭和五四年一〇月初旬ころにも、多少小さいながら存在し、その後第四回入院時の前後ころまでの間に成長したものであること、一般に、限局性腹膜炎に比較して汎発性腹膜炎は余後が悪く、死亡に至る可能性も高いことが認められる。

(三)  一般に、医師が患者を診察して、治療を行うに当たっては、患者の既往症や従前の経緯を十分考慮することが必要であり、本件においても、被告病院の担当の医師が、政則の臍周囲炎を診察するに当たっては、第一回入院前の経緯、第一回入院以降の政則の症状の推移と被告病院における診断と治療の経過等すべての事情を考慮し検討することが不可欠であったと考えられる。そして、被告麻生及び同芦田等被告病院の医師が政則の臍周囲炎を診察する際には、被告病院各科間で相互に連絡を取り合い、それまでの経緯なかんずく虫垂炎の疑いがあったこと及び虫垂切除が見送られたこと等を念頭に置いて診察に当たり、そのことによって、これが内因性の臍周囲炎であること及び虫垂炎又はこれを原因とする腹膜炎の有無、それとこの臍周囲炎との関連の有無等を疑うべきであったところ、<証拠略>によれば、前記認定の大網膜に包まれた膿瘍等の腹腔内の膿瘍の存在は、腹部の綿密な触診や超音波エコーダイヤグラム装置による検査等によって発見することが可能であったことを推認することができ、また、<証拠略>によれば、昭和五四年当時、超音波エコーダイヤグラム装置による検査は、臨床的にかなり広く用いられつつあり、被告病院小児科にも、既に超音波エコーダイヤグラム装置が設置されていたことが認められるのであるから、被告病院の医師らとしては、政則の当該臍周囲炎が内因性のものであることを疑った上、腹腔内の膿瘍の存在、場合によっては腹膜炎の発生を予見すべきであり、これに基づき当該臍周囲炎の原因及びその原発巣を右認定の諸検査等によって探知するのみならず、同じ原病巣から既に腹腔内臍左上部に生じていた大網膜に包まれた膿瘍等の形成及び成長をも探知診断し、これに基づいて被告病院各科の綿密な連携の下、最適な治療を選択し、膿瘍等の摘出、腹腔内の洗浄等の処置を採ることによって、右膿瘍がその破綻により汎発性腹膜炎へと進展して生ずべき重大な結果を回避すべき注意義務があったというべきである。

ところが、被告麻生及び同芦田を含めた被告病院の担当の医師らは、政則の臍周囲炎が臍腸瘻等内因性のものであることをいったんは疑ったにもかかわらず、またもや抗生物質の投与等による経過観察の方法のみに安易に依存し、超音波エコーダイヤグラム装置等による政則の腹腔内の検査を十分に実施せず、昭和五四年一〇月一六日、当該臍周囲炎が表面上治癒したため、その後腹腔内の疾患に注意を払うことを怠り、一か月以上にわたって政則の診察や検査の機会を持つこともなく、大網膜に包まれた膿瘍の形成及び成長更にはその進展を探知できないまま第四回入院時前後ころの汎発性腹膜炎を生ぜしめるに至り、その結果、汎発性腹膜炎発症前の段階で右大網膜に包まれた膿瘍を切除摘出し、腹腔内を洗浄する等の機会を失ったため、汎発性腹膜炎という重篤な疾患とその後の左横隔膜下膿瘍及び化膿性心嚢炎並びにそれによる政則の死亡の結果を生ぜしめるに至ったものといわざるを得ない。

この点に関し、被告らは、右大網膜に包まれた膿瘍の形成自体稀な症例であり、当時の臍周囲炎の症状のみでは、大網膜に包まれた膿瘍等腹膜炎の症状を疑うことはできず、また、当時、被告病院小児科においては超音波エコーダイヤグラム装置による検査も稀であったこと<証拠略>等を理由に被告らに責任はない旨主張するが、前認定の事実経過に明らかなとおり、政則は被告病院への入院を比較的短期間内に四回も繰り返しており、前三回の各入院時の各症状の原因が何であったかについても虫垂炎その他の腹部の炎症が疑われたが、どの入院時においても確かな疾病名の診断とこれに基づく根本的な治癒を経過しない(客観的には政則の疾病は、第一回入院時前から引き続き進行中であったことを意味する。)まま一応の平静の回復を見ては退院する事態を反復した挙げ句、四回目の入院に至った内因性(すなわち腹腔内の炎症の関連が疑われる)の臍周囲炎の発症があったのであるから、被告病院全体としては、これらの経緯との関連で政則の臍周囲炎の症状をとらえ、前記のとおり、諸検査等により政則の罹患する疾病を全体的かつ抜本的に探知する方針がまずとられるべきであったのであり、このような見地に立たないで、右臍周囲炎が、何らの事前の経過もなく独立的に発症したものと位置づけた上、臍周囲炎一般に対する臨床上の取扱方法を論拠として政則の腹腔内に生じていた疾患全体に対する診察の必要性を否定する被告らの右主張は、到底これを採用することができない。

(四)  以上のとおり、本件においては、政則の臍周囲炎が現出した時点で、被告麻生、同芦田及び被告病院の担当の医師に右認定の注意義務違反が存在したものであり、かつ、この注意義務違反の結果右認定のとおり汎発性腹膜炎への進展とこれに基づく化膿性心嚢炎の発症及びこれによる政則の死亡を生ぜしめたものと認められ、したがって、右の両被告及び被告法人は、右注意義務違反に基づく政則の生命侵害等の損害についてこれを賠償する責任を免れることはできないというべきである。

4  第一ないし第三回入院時の診断・治療行為における注意義務違反について

原告らは、政則の第一回ないし第三回入院時における被告麻生及び同芦田の政則の虫垂炎の早期発見及び速やかな虫垂切除についての注意義務違反を主張するが、本件医療事故に関し、右3に判示したとおり、右被告両名ら被告病院の医師らの注意義務違反及びこれと政則の死亡との因果関係が認められ、したがって被告麻生及び同芦田並びに被告法人にその認定事実に基づく損害賠償責任があることが認められるから、原告らの右主張については、判断の必要を見ない。

四  損害

1(一)  政則の逸失利益 一三〇六万七三〇〇円

<証拠略>によれば、政則は、本件医療事故以前は健康で、死亡当時三歳四か月の男子であったことが認められるから、本件医療事故により死亡しなければ満一八歳から満六七歳までの四九年間は就労し得たものと推認することができる。そして、労働省の賃金構造基本統計調査(昭和五五年度)によれば、昭和五五年の男子労働者の全産業全年齢平均の年収額は二九九万〇四〇〇円であるとされているから、政則は満一八歳から満六七歳まで年間平均二九九万〇四〇〇円の収入を得ることができたであろうと推認でき、これを基礎として、右期間を通じて生活費として五〇パーセントを控除し、中間利息の控除についてライプニッツ式計算法を用いて計算すると、政則の逸失利益は、次のとおり一三〇六万七三〇〇円となる。ただし、ライプニッツ係数は、六四年に対応する一九・一一九一から一五年に対応する一〇・三七九六を差し引いた八・七三九五による。

二九九〇四〇〇×〇・五×(一九・一一九一-一〇・三七九六)=一三〇六七三〇〇

(二)  政則の慰謝料 四〇〇万円

前記三に認定した事実によれば、政則は、被告病院の医師らの前判示の注意義務違反により汎発性腹膜炎及びこれを原因とする化膿性心嚢炎に至るまでの諸疾病に罹患し、ついにはその生命をも失う等の精神的苦痛を被ったものと認められるところ、前記認定の諸事情に照らし、これを慰謝するには四〇〇万円をもってするのが相当である。

(三)  原告らが政則の父母であることは、当事者間に争いがない。したがって、原告らは、政則の死亡により、それぞれ(一)及び(二)の合計額の二分の一である八五三万三六五〇円あて相続したものと認められる。

2(一)  原告ら固有の慰謝料 各四〇〇万円

<証拠略>によれば、原告らが政則の死亡によって多大の精神的苦痛を受けたことが認められるところ、前記認定の諸事情に照らし、これを慰謝するには各四〇〇万円をもってするのが相当である。

(二)  葬儀費用 各三〇万円

政則の葬儀が原告らによって行われたことは、弁論の全趣旨により認めることができ、右の当時、右葬儀に通常要すべき費用としては、六〇万円を下ることはなかったものと認められるから、原告らは、政則の死亡によって各自三〇万円の出費を余儀なくされたものと認めることができる。

(三)  弁護士費用 各一〇〇万円

原告らは、本件の訴訟代理人弁護士に訴訟の追行を委任し、その着手金として各一〇〇万円の出費をしたことは、弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

3  以上を合計すると、本件事故による損害額は原告各自一三八三万三六五〇円あてとなる。

五  結論

以上のとおりであって、原告らの被告各自に対する本訴各請求は、本件損害額のうち各自金一三八三万三六五〇円及びこれに対する不法行為の日の後であって本件訴状の最後の送達の日の翌日である昭和五五年一〇月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

なお、仮執行宣言の申立ては、相当でないものと認め、これを却下する。

(裁判長裁判官 雛形要松 裁判官 北村史雄 裁判官 岩木宰)

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